成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その2

前回のエントリである「成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その1」の続きです。

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島田: この小説は当時の社会の状況をよく反映していたわけです。アメリカ東海岸の1841年というと、とても現在のような社会ではありませんでした。最近ちょうど評判になった黒人の映画があります。『それでも夜は明ける』という映画でしたが、これはまだ奴隷制度が存続しており、自由証明書を持っている黒人からそれを取り上げて拉致をして、そうしてまた転売してしまう、奴隷として転売してしまう――そういう犯罪が日常的に横行していた時代です。

ポー自身も失踪して、ボルチモアの町で発見されるんですが、泥酔していて、錯乱していて、しかも他人の服を着ていた。何かの犯罪に巻き込まれたことは間違いないんですが、そのあとすぐに病院で息を引き取りますが、彼が巻き込まれていた犯罪は未だに解明されていません。そういうふうにですね、現在のように、あるいは当時完成しつつあったヨーロッパのように、科学警察の捜査網の保護下にあるような、そういう都市ではなかったわけですね。そこで書かれたこの小説はヨーロッパの科学革命というものを反映していたわけです。

科学革命というものがどういうものか、ということを申し上げますと――例えば当時社会に様々な疑問があり、それが常識化された回答を持っていた。例えば重い物を持ち上げて落とすと、足下の地面に落ちますですね。なぜこれは落ちるんだろう。これは地下の悪魔が引っ張っているからだ、という回答が問答不問のものとしてあった。あんまりこれを言うと、教会が出てきかねない。しかし18世紀にニュートンというひとが万有引力の法則を発見し、それが時間をかけて人口に膾炙していき、こういう常識を覆し終わっていくことがありました。あるいは太陽はなぜ燃えているのか、何を材料に燃やしているのか、石炭や薪を燃やしているのであれば、何億年も燃えている、そういう時間は持たないであろう。また煙が出るんじゃないか。あるいはあの天空の果てには酸素があんまりないんじゃないか。それなのにどうして燃えているんだろう、というような疑問に対して答えられる人、存在は神であり、教会しかなかったわけですね。

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しかしラジウムの発見とか、核融合理論というものが世の中に提示をされて、これが定着していくにつれて、神を必要としない、科学というものが次第に定着していくわけです。この科学というものが、新しい力であり、大衆によってどうやらこれはこれまでの王の権力とか教会の権力を超えた強大な力として、我々は発見され、手にしているんではないかという気づきに繋がっていくわけですね。しかもこの力は我々大衆というものが世界の最高権威者ではないかという自覚にもなっていき、そして民はこの巨大な力を用いて社会に還元をしていく、そのために社会との契約を結ぶんだ、というかたちで契約書を示したりして、まあ、世の中に提示していく、というようなかたちにも繋がっていきます。

で、この科学という新しい学問、力の発見が世の中に科学革命を通過した市民の、新市民のあるべき姿、そういう期待を示すようにもなっていくわけですね。それは例えば、幽霊の力、超自然的な霊力、そういうものの禍害としか思われないような事象を前にしても、決してそれに怯えることなく、果敢に科学の考え方を用いて冷静に論理的に事態を解体、推理をしていき、合理的な解決を探り当てて、事態を事件前の地平に戻していく。そういうことができる人間、科学者としての市民が新市民の姿である、というような期待になっていくわけですね。

こういう考え方はとくに犯罪捜査のジャンルに直接的な変革をもたらします。ロンドンにスコットランドヤードという科学警察、民主警察がスタートします。これは今までの捜査方法ですね、例えば凶悪な犯罪現場、殺人事件が起こると、その周辺の前科者を引っ張ってくる、あるいはその周辺の怪しげな人間を、捜査官が職人芸的な勘を働かせて引っ張ってきて、時には大いに拷問を用いて自白を強要する。その自白をときには唯一の証拠にして、支えていく。こういうやりかたをしていたわけですが、新時代、これを否定して、科学を用いて事件を立証する。そして科学とその論理を用いて犯人を特定していく。こういうやりかたをするのだ、という宣言をした警察がスタートするわけですね。

それがちょうど19世紀の半ば。モルグ街のころです。しかしそうは言っても拷問が行われているかもしれない。で、それを監視するために、最高権威者たる市民は陪審員として裁判に参加して法廷で監視をする。そういうかたちで陪審員裁判、制度の裁判というものが重要になっていくわけです。陪審制裁判というものは、もちろんもっと前から行われていましたが、19世紀の半ばにこれが非常に重要なものとして制度的に整備されていく。そういうことがあったわけですね。

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こういう事実を心得て、モルグ街をもう一回見てみますと、こういう社会の変革のありようというものが極めて直接的にこの小説に反映されていることに気づかされます。捜査官は床から微物を発見しますですね。これは今でも鑑識官はやっています。床からどんなものを拾うかが非常に重要になってきます。多くは昆虫の死骸のかけら、あるいはナフタリンのかけら、犬や猫の毛、人間の髪の毛、大毛――そういったものを拾って、これを顕微鏡やときには電子顕微鏡等で分析をし、外から持ち込まれたものであれば、犯人によるものではないか。もしそうであるならば、どういう由来で、どういう性格、犯人の性格、性質を物語るか、という推理をしていくわけです。まさしくミステリー小説の世界なわけですね。

1841年にこれが行われている。科学を用いてこれらが堆積され、そして何よりも重要なことは、ちょうど検察官が陪審員にそれを開示するように民主的な警察官が読者に開示をしているということがありますですね。そうして幽霊現象としか見えないこの事件を科学者の目で、論理的に冷静に解析をしていき、当時の読者は思いもしなかったとんでもなく変わった結論を引き出していくわけです。そして合理的な事件解明を行う。これはまさに時代が要求することであった。

ですからこの本は、この書物は、陪審員として法廷に参加する手引き書、とも読めるような性格を持った訳ですね。これは大変な喝采を浴びて、これに賛同した多くの作家が作品の工房に行列をつくるようにして、探偵小説――本格ミステリーという言葉は当時はありませんでしたから、まあ、今もないんですが――本格は日本語ですので、探偵小説は発生し、定着をしていく。そしてこれらの小説を読むことは日本人にはちょっとそのへんが、理解をしていないというか……ちょっとぴんときていないわけですが、それを読むことは同時代の市民としての自信を自覚する行為でもありえた。そのくらい当時の探偵小説というのは非常に重要な読み物になっていったわけですね(「成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その3」に続く)。

  1. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その1
  2. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その2
  3. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その3
  4. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その4
  5. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その5
  6. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その6
  7. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その7
  8. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その8
  9. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その9
  10. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その10
  11. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その11