成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その5

前回のエントリである「成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その4」の続きです。

GXR + MOUNT A12 with CONTAX T* Makro-Planar 2,8/60c, ISO3200, f2.8, SS 1/100
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島田: これはですね、綾辻さんは京大のミステリ研の出身です。京大のミステリ研には犯人当てゲームの朗読という、そういう伝統があったわけです。これは一回しか朗読をしませんし、プリントは配りません。朗読だけです。ですからここからは文章力の巧拙というものはあまり意味をなさないですね。そして犯人の隠蔽と言うことが、どの人間が犯人であるか、これを隠すと言うことが極めて重要な要素になってきます。そのために、人物記号化という――つまりある人物、いや、すべての登場人物の情報を最小限にとどめて表現をしておく。こういうことが有効であるという、こういう方法を彼は探り当てていくわけですね。

この人物記号化表現というものを行うときに、はじめてヴァン・ダイン型の小粋なジョークだの女性のプライドだの、執事の慇懃なサーヴの様子など、そういうものの必要性がなくなってきたわけです。なくなってきたどころか、書いてちゃいけないという、そういうメソッドに育っていくわけですね。書かない方がいいなんていうと、これは言い訳に聞こえますが、そうじゃなくもう構造的に書いては成立しないわけです。これがもちろん彼が登場したとき、文章が下手であるとかそういう誤解を生んでいくわけですが、また彼が登場のときはやむを得ない、また文章書きに馴れていない部分がありましたから、これと相まって大いに誤解をされるわけですね。

でもそうではないんです。構造的に文章を無味乾燥なものにし、人物記号化表現にして情報をできるだけ隠蔽するという、そういう作風の構造を彼の作品は隠していたわけですね。当時はこれを見抜く人がなかなかいなかったわけです。まあ、このようにして綾辻さんはヴァン・ダイン流儀を日本に導入し、これがやはり一つの時代をつくっていく。類似の作家たちがあんまりこういうことを心得ないままに参加をしていく、というようなことが起こっていきます。で、私はこのことにちょっと危惧を抱いていました。だから警鐘というか、そういうことをたびたび言いました。

なぜならば、ヴァン・ダインの流儀が現れて以降、英米でジャンルが滅んでいるからなんですね。このことを心得てかからないと、高効率に良い作品を輩出できるが、材料の制限にも繋がってしまい、作風の固定化にも繋がってしまえる。進歩を止めて、行き詰まってしまうよ、ということを言いました。このこともなかなか受け入れられなくて、議論になりましたけれど、しかしやはり時代は思った通りに固定化していったわけですね。行き詰まってきた。次に何をすればいいか、判らない。もうネタを撃ち尽くしちゃった。種がありませんねよ。弾がありませんよ。これからどんなことをすればいんでしょうね、というような時代にさしかかってきたわけですね。

SONY DSC-RX1, ISO4000, f4 ,SS1/80
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で、私もこれから何をすれば良いか、そういう提言をしなければいけない時代になってきたわけです。しかし私に言わせればこれははっきりしているわけです。行き詰まった本格の行き方というもの、これはヴァン・ダインによってスタートした、第二のスタートですね。そこから始まって、甲賀三郎もちょうど居合わせて、本格のミステリとして延命されて続いてきた。ヴァン・ダイン流儀が行き詰まったんです。ポーの流儀はまだ行き詰まってはいないんですね。少なくともそのように考えて破綻はないです。

ですからポーの流儀に戻るのも一つの有効な方法ですよということを言い続けました。そこでもう一回ポーの流儀を見直しますが、これは端的に言えば、幽霊現象を当時最新の科学でもって解体をする、そういう流儀である。そういうふうに理解することができます。しかしそうしますと、幽霊現象を最新の科学でもって解体しようとするならば、二十一世紀の今ならもっと面白いことがやれる可能性がある。少なくとも二十一世紀の今、いろんなやりかた、いろんなアプローチができるんですね。少し難しくなってしまう可能性はあるが、いろんなことができるわけです。

例えば先ほど申し上げました、地面に重い物が落ちるのがなぜか、太陽はなぜあんなふうに長い間燃えているのか。これに対して科学革命がヨーロッパにおいて回答を与えたように、現在幽霊とはなんであるかという疑問に対して、科学は回答を与えつつある時代、と言い方もできるわけです。その端的な例を挙げますと、それが幻肢なんですね。幻肢とは何かと言いますと、幻の手足、四肢ですね。これが体に付いていると確信できるそういう現象ですね。

こういう現象が知られるようになってきたのは、アメリカの南北戦争以降、とのことです。戦争で手足を失った人が、もう失ったにもかかわらず、まだこれが体に付いていると確信できるそういう現象のことです。たとえばこういう例があります。戦争で左手を失った、肘の上から手がない。そういうひとがシャワーを浴びても、存在しない左手の肌の上を水滴がつるつる伝っていく、指先まで落ちていく感覚が非常にリアルに実感できる、そういう現象が幻肢ですね。もっと凄いのになると、これは子供ですけれども、ない方の左手の指を折って暗算ができる、そういうふうに言います。

そうなるとこれはもう、我々の空想を超えてしまう。これは想像しているんではなくて、この子供には実際に見えているだろうと思う。なぜこういうことが起こるのか、これは脳がこういうことを、こういう仕事をしている、という言い方もできるわけですが、もちろん脳科学の方からの回答はあります。ええ、脳の扁桃野が左手の指に運動を、こういうような運動をしなさいという命令を出す。で、左手にその命令が伝わっていくうちに断端付近の組織の筋肉が命令通りに運命をなしたという偽の情報を頭頂葉に戻す。運動野はコピー情報を頭頂葉にも出しているので、その両者が頭頂葉で付き合わされてこの運動が行われたという風な理解をしてしまう。そういうような、説明がなされています。

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これはもちろん、これで正しいんだと思いますが、文学的にもっと違う説明もできるわけですね。それが以下のようなものですが、――ええ、手足が失われるというのは、その人物、持ち主にとっては生存の危機と言うべき大事件ですね。場合によっては痛みやショックによってショック死を起こすという人も出てくるでしょう。そうでなくても、心神が衰弱をしたり、ついには自殺を選んでしまうということだってあるかもしれない。それを回避するために、脳は存在していない左手をあたかもあるかのように幻を見せるのであるというような理解ですね。つまり脳には生存に関わるような大きな悲劇が起こった際に、これを回避するためにこのような緊急避難的機能があらかじめ備わっていると、そういう理解もできてくるわけです。としますと、これがもっと重要な場面ではありえるわけですね。

たとえば、命より大事な息子が死んでしまった、母親とか、一生をともに暮らそうと考えており、選び抜いた大事な大事な配偶者が死んでしまった。妻――そういうような人にとっては、同じようにこれ、自殺を選んでしまいかねない、大変な危機的な局面です。こういう人には、さっきも申し上げましたが、この左手――幻の左手がするすると伸びて、一個の個体を形成してしまうような、そういう大型の幻肢もありうるんじゃないか。その失われた個体を彼女の眼の前にリアルに出してみせるんじゃないか。そして脳にはあらかじめそういう緊急避難的機能が埋まっているんではないか。ちょうどその建物の壁についた消化器のようにですね、最初からそういう機能が備わっているんじゃないか。そしてそれが幽霊なんじゃないか。まあ、少なくともそれは幽霊に対するこれは一つの大事なアプローチなんじゃないか。そういうような考え方が見えてくるわけですね(「成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その6」に続く)。

  1. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その1
  2. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その2
  3. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その3
  4. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その4
  5. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その5
  6. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その6
  7. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その7
  8. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その8
  9. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その9
  10. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その10
  11. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その11