成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その4

前回のエントリである「成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その3」の続きです。

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島田: ここで大事なこと、見るべきことがあるんです、それは何かと言いますと、最新科学という、当時の最新の科学への信奉心というものが不要なものとして捨てられているということですね。そして物語はひたすら法廷の審理ゲームにも似たゲームに近づいていくわけです。これがもっとも面白い読書であるということを彼は言い、しかしこれは当時の読者たちのうちで誠に当を得たものでありましたから、結果として大変受け入れられるかたちになり、傑作、傑作輩出の歩留まりが上がっていきます。そして多くの傑作が現れてこれを受け入れたように見える。ディクスン・カーやエラリー・クイーン、本人たちはどうも否定しているんですが、そんなことはないと言っている。もしそうだとすればそれは時代の要求だったのかも知れませんが、結果としてはこれを受け入れたように見えるかたちで傑作を多く書き、速やかに黄金時代を築きます。

これは日本にも現れて、『獄門島』なんてのもそうかもしれない。『獄門島』とか、エラリー・クイーン『Yの悲劇』、これは日本では、海外の一位が『Yの悲劇』、国内の一位が『獄門島』ですね、これらは両方ともヴァン・ダインのメソッドを用いて書かれている。まあ<踏まえて大きく外れないようなかたちで書かれているように見えるわけです。ですから、ヴァン・ダインの提案は極めて当を得たものであった。という言い方はできますですね。ところがなぜなのか、黄金時代が築かれた翌日から、探偵小説というものは徐々にしぼんでいくんですね。そしてみるみる開店休業というような現状に至っていくわけです。 なぜこういうことが起こったのか。これも重要な問題ですが、高効率に傑作を輩出させる、そのための条件付けというものは、現在の時点から考えてみると、材料を制限していたという、そういう側面があったことに気づかされるわけですね。傑作の探偵小説をちょうどユニット住宅の建築のように速やかに高効率化していく。そして文学的才能もそれほどなくても、建築家としての能力がある人も呼び込めるというようなかたちに整備することで、ユニット住宅のように材料が制限されて、進歩が止まってしまったというところがあるわけですね。ですからアメリカ、イギリスではちょっと開店休業のような状態になっていく。あとから同じ材料しか使ってはいけないのであれば、黄金時代の作品群を後続の作家たちが乗り越えにくくなっていくわけです。 [caption id="attachment_2480" align="alignleft" width="600"]SONY DSC-RX1 ISO3200 f4 SS 1/80 SONY DSC-RX1 ISO3200 f4 SS 1/80[/caption]

このことには教訓があるわけですね。気をつけなければいけない。しかし日本にはこの方法が直接的には入りませんでした。日本はこれからも曲折した独特の歴史を辿って清張さんという人が現れます。このひとが大変な恩人になっていく。というのは、乱歩さんの見世物小屋的作風というものが、従軍方向から激しい軽蔑の視線を浴びるわけですね。それで電車の中ではカバーを掛けなきゃ読めなくなっちゃった、なんていうことを言う人もいます。そういうような時代が続いていく。

しかしこれらを払拭し、売り上げは落とさず、状況を救ってですね、ジャンルに属する作家たちの立場を向上させるような形で、清張さんは活動してくれたわけです。ですから清張さんを恩人として祭りあげていったわけです。そして本格を高級のものにするためには、清張さんの作品にうまく重ね合わせなければいけないという、そういう政治配慮も働いてきますですね。

ところがこれがまことにうまくいかない。なぜならば清張さんはまず名探偵を絶対否定していました。それから舞台が狭くとられるということもありません。そして天才的な鋭い論理というものに興味があまりない。むしろ平凡な能力の捜査員たちが足を使って、場所を歩き、そして経験を活かした、それほど鋭くない論理の積み重ねによって犯人を突き止めていく。これの方が良いのだという無言のうちの提案があったわけですね。それから何より清張さんの作品というものは初期のものを除いてもう、ほとんど全て、連載を追加していますから、伏線というものが存在していないわけです。伏線に興味がなかったわけですね。

清張さんの作風は社会派と言われますが、これはあんまり正しくない。もちろんそういう言い方も良いんですけれど、構造的には自然主義探偵小説とでも呼ぶのが正確であると思います。つまり自然主義ですからね、多分これ日本もちょっと誤解しているんですが、自然主義も実は科学革命の落とし子なんですね。この原点にはダーウィンというひとがいます。進化論というものがあって自然主義が出てくるわけですけれども、輸入品になくて日本独自のものと思われているようなところがある。つまり田山花袋の『蒲団』が原点と考えているところがあるが、そういうことはないんですね。ここにもまたガラパゴス的、独特の展開があって、これも話すと面白いんですが……まあ、ちょっとやめておきますが、清張さんのそういう作風、すなわち清張さん自身、本格たることに興味が無かったし、本格とはなんであるかという、そういう議論の知識も恐らくなかったであろうと思います。関わらなかったわけですね。

で、政治配慮をしていた行儀の良い人たちがもう、この議論というものを棚上げにしてしまうわけです。本格とは何であるかの論争もダブー化してしまって、この時代が長く続くわけです。そこでますます本格とは何であるかが判らなくなっちゃった。症状がこじれてしまうということがあったわけですね。そうして1980年代に入って島田荘司という人ととか、綾辻行人という人が現れて、新本格の時代というものが形成されていきます。このときに綾辻行人さんが何をやったかというと、これも大変重要なことなんですが、70年遅れてヴァン・ダインの流儀を日本に取り入れた……初めて取り入れて定着させたという、そういう業績なんですね。

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なぜ綾辻さんにできて、他の作家達にできなかったか、これにも明白な理由がありまして、ヴァン・ダインの流儀というものは、実はさっき述べたような条件だけではなくて、アングロサクソン世界の上流階級の雰囲気ですね、そういうものを非常に面白く扱い、これに大いに支えられてきたわけです。ナイフとフォークの食事、そしてワインを用いる。そしてこれをサーヴするのは慇懃な彼らの執事である。そして彼らは英語流の小粋なジョークを交わし合って、殺人事件という悲劇を前にしても、これに小粋に対処をしている。何より見逃せないのは女性たち、ですね。彼女たちは極めてプライドが高く、そして自己愛情も強いのだが、そこから繰りだしてくるジョークが極めて格好良いわけですね。こういう女性たちをときには軸にしてこの空気を展開をしていきます。

こういう様子というものは、日本の作家たち、特に戦前の作家たちには苦手を通り越してまったく異次元の世界であったわけですね。日本には行儀強制が強烈で、女性に対する要求態度、態度の要求というものがもう、まったくかけはなれていた。ですからこういうものを日本語に取り入れるということは、非常に恥を掻いてしまう危険があったし、実際まあ、そういうひともいたわけですね。ですから手を出さなかったわけです。だから続いた――ミステリのジャンルが続いたということもいえるんですが、じゃあ綾辻さんが何故できたのか(「成城学園創立100周年・成城大学文芸学部創設60周年記念講座「成城と本格推理小説」第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その5」に続く)。

  1. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その1
  2. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その2
  3. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その3
  4. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その4
  5. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その5
  6. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その6
  7. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その7
  8. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その8
  9. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その9
  10. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その10
  11. 第一回『ポーの伝統―最新科学と本格推理』@成城大学 その11